やろーじだい

ブログです

まとめること・書くことによって得たこと

以前ブログでまとめることについて書いた。今回はネットに公開する形ではなかったが、ある程度継続することができていたので現状についてとまとめたい。

長くなった上に対象はよくわからないので暇な方向けです。

近況

四ヶ月ほど前から、先月末が締切である学会へ提出する論文の作成とその研究を進めていた。この中で、少なくとも二週間に一回、基本的には週に一回の間隔で教授との一対一のミーティングを行うことを決めこれを継続することができた。これによって得られたことをまとめる。

 それとは別に、一昨年の末から行っていた思考を記録するメモ帳が一冊埋まったのでこれについても書きたい。

まとめる

まとめるというのは、その時までに自分の学んだこと・調べたことなどについてを他人が読んで (見て) 理解できる形にするための文章化・図化などを指すようにした。ただし、他人が理解できる、ということを意識することが重要で、実際に読んでもらうことは必須ではない。もちろん読んでもらった方が本当に他人が理解できているのかを確認できるのでそういう機会はあった方がより良いと思う。

 やっていたことは、教授とのミーティングにあたって毎週ミーティング前日までに行ったことをまとめるということをしており、これをニヶ月ほど繰り返した。内容は以下のようなものであった。

  • 前回までの簡単なまとめ
  • それからの実験の要約と結果 (結果は表やグラフなどでかならず可視化するようにした)
  • 何がわかったか/わからなかったか

初めの内はミーティング前日ギリギリまで研究をして、最後にまとめの資料を作成するというやり方をしていた。しかし、明らかに必要な情報を落とすなどしてうまくまとめられなかったので、やっていることを逐次記録するようにし、ミーティングではその記録を少し修正したものを使うようにした。

 以前の問題として研究のスピードが本当に遅いということがあった。研究をする・プレゼンを作る・研究用のプログラミングをする・論文を読む・書く、あらゆるひとつひとつのことに異様に時間がかかっていた。しかし、ミーティングを行うための発表資料を作るようになってからは、今現在、論文を完成させるという目標のために足りないものは何なのか、その足りないものができると次は何ができるのかを自覚しやすくなった。まだまだスピードは改善されていないが、明かにひとつひとつの作業から受ける負担は減っているように思う。

 何故そのようなことになったかは、次のメモ書きの内容も大きく関係しているので最後にまとめる。

書く

自分の思考をメモするということを一昨年前から始めていた。きっかけは読書のメモを取るために枠線などが無いメモ帳を購入したことだった。

 そのメモ帳には本当にあらゆることを記録しており、例えば読書感想・その日のTODO・ある人への感情・思いつきや日記など、このメモを人に読まれることがあれば自殺を考えるレベルであらゆることを思ったままに書いている。

 このメモによって得られることの重要な点が二つあり、ひとつはその思ったことをそのままに書くことによって残る記録そのものである。今現在書いているようなブログの記事は、インターネットに公開するという目的で書かれているので、自覚・無自覚に関わらず様々なバイアスを受けている。良く見られるように書こうとしたり、文脈が無しでは意味不明なことを取り除いたりしている。一方メモの記録は誰かに見られることを前提としていない完全なまでに自分の思考であるので、今のブログの記事などとは全く異なるものになっている。

 通常、誰かに見せるためではない自分のためだけの文章を書く機会というのは、日記などの習慣が無ければあまり無いかと思う。自分の考えを記録するためだけに書かれた文章は、それを書いた時の自分の状態や気分などの空気も記録されており、後々読み返すと書かれていること以上に様々なことを振り返ることができておもしろい。

 また、もうひとつの点として、最後に更に詳しく考察するが、自分は同じことを何度も何度も考えてしまう癖のようなものがあることに気がつくことができたということだった。メモをしながら考えるようにしてから、結論まで考えることがしやくすなった。悩むことと思考するということの違いがわからなかったが、結論を導けるかどうかというのがありそうだなと思った。

 同じことを何度も考えていることも、結論に辿りつけていないということについても長い間無自覚であったが、これを自覚することができた理由について考えた。

流れ続ける思考

上の二つから気が付いたことは、思考というのは、常に流動するものであるということだった。イメージとしては、何かある一つのことを考えているとしてもその対象が頭の中を占めているというよりは、何度も何度も考え中に表れ続けているという感じである。ひとつのことを考えている時はとても小さな輪の形で考えがループしている。

 私は日常の中でこの状態に陥ることがとても多かった。この考えのループというのは自分の人生の中での問題の多くを表していたので非常に衝撃的な発見だった。

 これは何かを考えるとき全般に言えることで、それにはもちろんプログラミングという行いも含まれている。プログラミングをする時に頭の中でだけ考えていると、同じ事を何度も何度も繰り返し考えてしまいなかなか前に進めないということが起きる。これを打開する方法は非常に明確で、すでに考えたことは脳の中ではないどこかに固定する必要があるということだった。プログラミングでは、ある目的の関数の部品となる関数を書くことで、自分はその関数化されたものを使って次の段階について考えることに集中できるようになる。

 それはプログラミング以外でも同じことで、何か考えにふけっているとき、それは同じことを何度も繰返し考えている状態で思考が閉じていることが多く、問題が解決することが非常に難しい状態になっている。しかし、その自分が考えている内容を少しづつ何かに落としこむことによって、私はそれを使用してて次のことを考えることができるようになる。一般的に言われているような、文章を書くと思考がまとまるということの理由は、このようなものであるのだろうと思う。

 思考を外部に固定せずに自分の中でだけやろうとすると、多くのことについて覚えておく必要があり、結論に到達することがとても難しい。加えて、一度最初の前提に立ち返ってみるということも非常に難しくなり、そもそもの前提が間違えていた場合それに気が付くことも難しくなる。それに比べて文章化をしながらの思考は、それをしない時に比べて思考の足場が存在しているので段違いに次に進みやすく、かつ戻りやすい。もちろんその進む方向が本当に正しい方向であるかはわからず、これは別な問題ではあるが、少なくともどこかには辿り付くことがしやすくなる。結論が出さえすれば、記録に残されている前提と結論を元手に、それが今求めている結論としてふさわしいのかどうかを考えることもしやすい。

 この思考の固定の必要性にはもちろん個人差があると思われる。その個人差の要因はわからないが、現在では思考をメモすることができない状態でも、同じことを考えているループに入ると「今同じことを考え続けている」ということに気が付けるようになってきた。メモ帳などを自転車の補助輪のように考えて、思考を外部に固定することなくうまく考えを進めていく能力が後天的に向上することに期待している。ひとまずはこのメモをすることを継続していきたい。

 今でこそ文章を書く人ならば自覚していることなんだろうなと思えることだが、上記のことから明らかなように文章というのは既に考え抜かれたものからなる集合体ではなく、思考の流れの記録になっている。文章を書くことによって思考を記録し、その記録から次の思考が産まれる。その思考は文章となりまた次の思考の土台になる。文章とはこの繰り返しの記録ということになる。

この記事を読み返してみると、多くはこれを書く以前には明確に考えていなかったものによってできていることに驚く。すごい。